巨大エンタメ企業
米バイアコムCBS(当時:バイアコム)がパラマウントを吸収合併して生まれた新会社は、テレビやラジオ局、映画、出版、ビデオ・レコード店、プロスポーツチーム、テーマパークなど豊富なソフトを持つ巨大エンタメ企業になった。
スポーツではプロバスケットボールとプロホッケーのチーム、5つのテーマパークのほか、ニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンなども所有した。バイアコムのサムナー・レッドストーン会長が新会社の株を6割以上所有した。
原作の出版に始まり、その映画化、上映、ビデオ販売・レンタル、ケーブルテレビでの放送、テレビドラマ化と続き、さらにサウンドトラック盤を販売してMTVやラジオで放送…と、すべて1社で貫徹するメディア帝国が出来上がった。
テレビショッピング大手「QVC」と買収合戦
パラマウントをめぐっては、壮絶な買収合戦が展開された。バイアコムのほかに、テレビショッピング大手「QVC」が買収を目指していた。
1993年12月20日、パラマウントの社外重役を含む取締役会は、バイアコムとの買収合意を白紙撤回し、QVCの買収案を受け入れると発表した。
株式公開買い付け(TOB)の期限
QVCによる買収額が101億5000万ドル(1993年12月20日の株価をベースに算出)で、バイアコムの約96億ドル(1993年12月20日の株価をベースに算出)を大きく上回っていたからだ。
この結果、QVCが設定した株式公開買い付け(TOB)の期限である1994年1月7日までにバイアコムが買収額を引き上げることに失敗すれば、パラマウントはQVCの手に落ちるとウォール街は予想していた。
任天堂などジャパンマネーに期待
1993年12月20日のパラマウントの取締役会終了後の段階ではバイアコムの動きはまだ水面下に潜って表に出てこなかった。「任天堂から資金調達するらしい」といった具合に、バイアコムはジャパンマネーに期待しているらしいといううわさも流れた。
レンタルビデオ店「ブロックバスター」の資金援助
また、レンタルビデオ店「ブロックバスター・エンターテインメント」がバイアコムに対して資金援助することになっていた。
こうしたなか、TOB期限ぎりぎりの1994年1月7日、バイアコムはブロックバスターの買収(吸収合併)を発表した。バイアコムは、買収額を引き上げるための資金を得るために、ブロックバスターとの合併に活路を求めたようだ。
TOBの締め切り期限の1993年1月7日が近づくにつれ、バイアコムは資金調達先をすでに6億ドルの資金提供を申し入れていたブロックバスターに絞っていったようだ。
追加資金の見返りに合併
ブロックバスターは従来、バイアコムと約束していた6億ドルの資金供与に加え、新たに12億5000万ドルの追加資金供与を申し出た。その見返りとしてバイアコムとの合併を条件に出した。
株式交換によって実施されるブロックバスターとバイアコム両社の合併では、バイアコムのレッドストーン会長の持ち株比率が6割を超えた。レッドストーン会長が新会社の会長に就任した。
ウェイン・ハイゼンガー氏
ブロックバスターのウェイン・ハイゼンガー(Wayne Huizenga)会長は、新生バイアコムの副会長になった。レッドストーン会長の退任後はハイゼンガー氏が後任に内定していたが、この計画は実現しなかった。
当時、レッドストーン氏は70歳と高齢だった。ハイゼンガー氏は55歳とまだ若かった。
Waste Managementの創業者
ウェイン・ハイゼンガ氏は米国を代表するアントレプレナー(起業家)として有名だ。1971年にゴミ処理会社のウエイスト・マネジメント(Waste Management)をゼロから創業した。
1971年に1600万ドルだった年間売上高は、1992年に年間売上高約87億ドルに成長した。ハイゼンガー氏は1984年5月にウェイスト・マネジメントを退社した後、1987年にビデオレンタル最大手のブロックバスターの大株主になり、トップに就任した。
タイム・ワーナーの双方向テレビが脅威に
1993年、タイム・ワーナーやテレ・コミュニケーションズなどが、好きな時に見たい映画を見ることができるビデオ・オン・デマンドなどの双方向CATVサービスの実験構想を相次いで打ち上げたころからハイゼンガー氏はあせりを見せ始めた。双方向CATVが広がれば、ビデオレンタル業界は消えてしまう恐れも出てきた。
リパブリック・ピクチャーズに出資
1993年にハイゼンガー氏は映画番組制作会社のスペリング・エンターテインメントの全株式の48%を取得した。映画配給会社であるリパブリック・ピクチャーズに出資するなどビデオレンタル業の看板を総合娯楽会社に脱皮しようとし始めた。そこに転がり込んできたきたのが、バイアコムだった。