映画『沈黙 サイレンス』レビュー

映画への信仰

マーティン・スコセッシ監督が何十年もの時を経て映画化した『沈黙』はその苦節のプロダクションこそが希求心の物語であるかのようだ。映画という神への信仰に憑りつかれた男はいかにして真理を得たのか…キリスト教未開の地、日本で己の信仰心を試される牧師たちの物語は、遠藤周作の原作小説をフィルムに焼きつけようと格闘するスコセッシの姿とダブる。かねてより“ギャングと聖職者が同居する作家”と評されてきたスコセッシだが、本作ではより求道的な“映画聖職者”としてのピュアな面が強く感じられた。創作衝動とは熱烈な信仰に近い。

スコセッシの熱意に魅せられ、キャスト全員が素晴らしい演技を披露しており、中でも殉教の意志を固める塚本普也監督の目、そしてハリウッドだろうがスコセッシだろうが一向にマイペースを崩さないイッセー尾形の独自の怪演技メソッドは見逃してはならない。他の役人キャストが所謂“時代劇演技”をしている事からも(このステレオタイプはスコセッシが日本映画から蓄積したものではないだろうか)、彼が演技面で自由な裁量を得ていたことが伺い知れる。

本作はスコセッシ宿願の企画として製作当初から大きく注目され、カンヌかアカデミー賞かと期待されたが、照準を合わせたオスカーレースでアメリカの批評家は“沈黙”した。それはキリスト教による前世紀の布教が“侵略”であった事を看破し、日本において敗北した事を描いているからであり、自ずと9.11以後のイスラム圏との軋轢(そして敗北)を彷彿とさせるからではないだろうか。

だがこの惑い、曖昧さこそ聖職者を目指しながらもギャングとつるみ、落第して映画作家となったスコセッシそのものなのだ。『沈黙』は遠藤周作の原作を借りながらスコセッシが作家としての根源を追及した私小説のような、彼のキャリアの中でも極めて重要な1本と言っていいだろう。

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沈黙 サイレンスのポスター
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長内那由多のプロフィール画像

長内那由多

タマネギ畑が広がる北海道のド田舎で多感な思春期を過ごす。中学2年生で「恋人までのディスタンス」にハマり、ジュリー・デルピーに恋をする。日記代わりにB5ノートに書き始めた手書きの映画レビューもすでに16年目。上手に書けたらアップさせて下さい。

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