映画『この世界の片隅に』レビュー

右手の想い出

 想い出は、美化される。

 つらい過去にはフタをして、よかったことに脚色を加え、折にふれて取り出してみる。たとえ今、しんどい状況に置かれていても、そんな想い出を励みに、踏ん張れたりもする。

 本作は、太平洋戦争の勃発、戦況の激化、そして敗戦を迎える中で、市井の人々の平穏な暮らしが蝕まれていく様を、広島で生まれ育ったすずの目を通して、丹念に見つめていく。のんびり屋でそそっかしい失敗を繰り返しながら、厳しい兄やちゃっかり者の妹、温かい両親と暮らす、幸福な少女期。軍港の街・呉に嫁ぎ、一途に愛情を注いでくれる夫、少々面倒くさい義姉や愛らしい姪っ子らと、日々色濃くなる戦争の影に怯えつつも、肩を寄せ合い生きる新婚時代。時制通りに、緩急の利いたテンポで綴られる日々を目の当たりにするうちに、すずの半生が追体験されていく。

 画才をイマジネーション豊かに発揮し、苦手な裁縫にも果敢に挑み、かけがえのない存在を繋ぎとめてきた、すずの手。突然襲いかかる悲劇が、観る者と分かち合ってきた彼女の微笑ましい想い出さえも、二度と振り返りたくない忌まわしい記憶へと反転させてしまう。

 それでも、人生は続いていく。メガヒット中の『君の名は。』では、思い通りにいかないリアルな世界から抜け出し、映画でしか起こせない奇跡を、スケール豊かに映像化してみせた。時代の波に翻弄されるすずは、ままならない現実に打ちのめされそうになりながらも、この世界の片隅に必死に根を下ろし、自分の居場所を切り拓いていく。ユーモアとペーソスを併せもち、か細くも独特の響きをもつ”のん”の声が、激変する周囲に淡々と抗い、”普通”であり続けようとするすずの芯の強さを、繊細に表現する。魔物ひしめく芸能界では、さぞ生きづらかろうが、未だ原石のような輝きを保ち続ける彼女の新たな代表作が、アニメーション映画の当たり年に誕生した。


 

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この世界の片隅にのポスター
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服部香穂里のプロフィール画像

服部香穂里

映画界の末端で、浮草のように漂うております……。

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