映画『シン・ゴジラ』レビュー

僕たちは“ヤシオリ作戦”をまだやれる

2014年のギャレス・エドワーズ版を観た時は根性も予算も負けて2度と日本でゴジラは作れないと思ったものだが、当の東宝はこれぞ商運と捉え、まさかの庵野秀明を大抜擢。見事、日本でしか撮れないゴジラ映画を作ってみせた。1954年、いまだ戦争の記憶が生々しい時に核の象徴として現れたゴジラが今度は3.11の化身として破壊の限りを尽くす。アンダーコントロールなんて出来た物ではない放射能の塊であるゴジラに冷却材を投入しようとする展開はあの日、僕らが体験した惨状とあり得たかもしれない未来でもある。この虚構と現実のせめぎ合いが観客の知性を刺激し、これほどまでの熱狂を呼び起こしているのではないだろうか。

そして驚くべきは実写映画監督としての実績はほぼ皆無の庵野が大作映画で自身の作家性を貫き通せた事だ。巻頭早々にゴジラを登場させるや、その危機対応に追われる官邸周辺の侃々諤々を追ったディスカッション映画として構築しており、日本中の性格俳優を集めた“役者の映画”に仕立てている事は意外だった。時にすっとこどっこいで笑いもこぼれてしまう演技アンサンブルの活気は本作の喜びである。庵野アニメ風実写演出をわざわざエヴァのスコアでやってしまうセルフパロディにも余裕があり、エヴァ新劇場版の迷走が嘘のような勢いだ。

我らが大スター、ゴジラはシリーズ最高の悪役として僕らを圧倒する。あっと意表を突く第一形態(通称蒲田ちゃん)からシリーズ最大200メートル級ゴジラへと成長し、鎌倉沖から伊福部サウンドに乗って上陸するシーンは思わず立ち上がってしまうほどだ。放射シーンの三つ顎といい、愛嬌を排した異様が怪獣映画本来の恐怖感を甦らせる事に成功している。

1つだけケチをつけるとすれば主人公ら霞が関の連中が魅力的過ぎる事だろう。この時代に政府関係者を描く事に何ら批評性を伴わないのはいかがなものか。カッコ良すぎるんだよ、君ら!

8
シン・ゴジラのポスター
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長内那由多のプロフィール画像

長内那由多

タマネギ畑が広がる北海道のド田舎で多感な思春期を過ごす。中学2年生で「恋人までのディスタンス」のジュリー・デルピーに恋をする⇒メインの更新は本館ブログへ移行しました。こちらでは劇場公開作についてたまにアップします。

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