映画『君の名は。』レビュー

反復して乳を揉みしだく

 少年が失われた記憶を頼りに失われた土地と面影を求めて、空間を詰めて行く。見知らぬ土地へ、言ってしまえば少女との物理的な空間を詰めて行くことで何某かのこころと記憶の解決になると踏んだからだ。しかし詰めた先には今度は失われた時間があった。
 単純に言えば、少年少女の空間の差異の物語と、時間の差異の物語による少年/少女の半ば恥じらいに似たコミュニケーション不全の典型が描かれている。地方と都市と言う空間的な距離と、霊的な距離との按配やら、それらくんずほぐれつの取っ組み合いが彼らの愛を進捗させた。しかし、進捗後の愛の成就を観客に予感をさせておきながらそうはならず、ただ相互の肉体を経験する(反復して乳を揉みしだく)だけ、憑依先の肉体を窓口にしてかろうじて相互が体験されるだけだ。あたかも同時に手紙を出しあい同時に届いた手紙を読んでいるかのようだ。手紙は手段になってはいるがやはり愛は成就されず「お前はだれだ」と言う唯一不可知のコミュニケーションの言葉が残されただけだった。作品中、愛の不全と成就とは背中合わせで互いの温度を感じている関係だと思える。
 魂が交替されるだけのおり、彗星スプリットの目撃だけが、都市でも地方でも少年も少女も同時に(共時的に)同空間を体験していることのしるしだと言える。作者はこの寓意を象徴的な像として執拗に描いている。少年と少女の間に何も起きていない未達と起きてしまった完了の寓意だともとれるし、時間と空間が克服されていないにはしろ密着した関係の寓意だともとれる。
 時間の差異を克服するには霊的な方法でしか成し遂げられない。噛み酒、巫女、処女、これら性的な暗喩は肉体の交わりのない霊的な交感だけが唯一の男女の交感であるかのようだ。男女の性的な意味の広がりを表明している。恐らく作者がどうあっても男女の愛の関係性が霊魂の問題に帰したかった理由ではなかろうか。

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君の名は。のポスター
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弐個 四

本棚に並べたDVD画像をSNSで自慢げにさらすような大人にはなりたくない。

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