映画『アメリカン・スナイパー』レビュー

レンズの向こう

イーストウッドも老いた。イラク戦争という時代へのアンサーとなる本作には10年前の「ミスティック・リバー」のような筆圧の強さがない。僕が「グラン・トリノ」以後のイーストウッド映画に憶えた違和感はこの筆圧の弱さであり、それは対象への距離感だと本作で気付かされた。この映画はイーストウッドと題材、主人公クリスとターゲット、そしてアメリカとイラクという“距離感”が強調された映画だ。

クリスはその日暮らしの無学なホワイトトラッシュだが生まれながらの宗教教育、正義への価値観が彼に従軍を決意させる。これまでのイーストウッド映画同様、後に戦争という暴力行為によって心に深く傷を負うのだが、ここにはイーストウッドが自ら演じてきた詩情(それとナルシズム)がない。愚鈍で妄心的な愛国者であるこの主人公にはどうにも魅力がないのだ(実直に演じるブラッドリー・クーパーは結果、3度目のノミネートにも関わらずオスカーを逃した)。

現地ゲリラとの死闘がアクション映画として面白いのはイーストウッドらしい職人技だ。敵スナイパーとの一騎打ちは西部劇のそれ。砂嵐吹きすさぶ中での脱出劇は原作にはない脚色だという。取り残された宿敵の死体はクリスの内なる何かにも見えるが、同時に自らの分身でもあるライフルが置き去りにされたカットに、この主人公の末路が変え難いものであったとイーストウッドが達観している事が伺える。暴力には代償がつきまとうからだ。

クリスと妻の埋まらない距離感こそがアメリカ国民と帰還兵の心の差異であり、そしてアメリカのイラクに対するあまりに想像力を欠いた距離感だ。イーストウッドはかつてのように声高に怒りを込めたりはしない。その筆圧は老境の弱さかもしれないが俯瞰した画は大きく、意味する所は深い。この10年とは国家や宗教の名を借り、無知な者に暴力を強いた時代だったのか。無音のエンドロールが思考せよと訴える。

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アメリカン・スナイパーのポスター
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長内那由多のプロフィール画像

長内那由多

タマネギ畑が広がる北海道のド田舎で多感な思春期を過ごす。中学2年生で「恋人までのディスタンス」のジュリー・デルピーに恋をする⇒メインの更新は本館ブログへ移行しました。こちらでは劇場公開作についてたまにアップします。

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