映画『寄生獣 完結編』レビュー

生命の潮流。

田宮が新一に赤ん坊を渡すシーンで「潮流」のイメージが降りてきた。現実でも個々の命は戦っている。ある生命を断ち、取り込んで、自分の資源にして生きている。戦っても抗いきれず失われる命もある。それで生かされる命もある。パートナーを失った自分にとって、その事実がどう自分を生かしているのか、今はわからない。けれど、去った命が大きな流れの中にあり、目の前に降りてくるようなイメージが、赤子を抱く田宮の血染めの姿に重なったのだ。

「ごめんな。おれたちは、それでも生きていきたいんだ」と新一が後藤の亡骸を業火に投げ落とす。「おれたち」とは自分と自分が愛する者たちに他ならない。子孫が出来るできないは別として、愛するだけで相手には自分が宿る。宿った相手・宿した自分がそれぞれでなく一つとして、新たな生命になる。

「生命」を観る側に感覚的に意識させるうえで、新一と里美の交接は必然の重さを持つ。VFXやDIの色彩を越えて、二人の肌は確かな質量を備えて際立つ。それが「自分のそばにいる誰か」の質量を思い出させるのだ。

前編と同様かそれ以上に、観た後に感覚が増幅した。バーの奥のシェフの手先を見ると、その奥に彼らの人生が見え、グラスの向こうに、まだ見ぬ都会の夜の世界や、それが明けた後のどこかの地平が見えるような気がした。この感覚は貴重だ。

この経験は「いい」と思う。「パートナーの死を経験の踏み台にしているのか?」という自責さえ生まれるが、それはあえて封じよう。

時間は巻き戻せず、去った人の真意をその人自身の言葉で聞くことも、他の選択肢の成否を確かめることも叶わない。

けれどせっかくなので、失った分、増幅した知覚で精一杯生きられるだけ生きよう。知らぬ領域に踏み出してみよう。

死も生の一部なのだ。また会える。

おれが今このような状態にあるときに、この映画に出会えたことに、心から感謝する。ありがとう。

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寄生獣 完結編のポスター
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Daisuke O-okaのプロフィール画像

Daisuke O-okaFreak

某メディア企業で取材・出稿を伴うVTRディレクターをやってます。映画製作ビジネスの経験有り。そのうち何かやってやろうとユルく模索中。映画以外では、スノーボードや自転車ほかアウトドア全般、マンガに読書、クルマ、ねこ、これからの社会の動きなど、興味は全方位。よろしくです。

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