映画『リアリティのダンス』レビュー

神は「我」たる愛である。

はるか昔に「エル・トポ」を観て「とんがった監督さんなんだな」くらいにしか思っていなかった。しかしこれを観て「DUNE」も観ようかと思っている。

少年アレハンドロはホドロフスキー監督の鏡合せ。故郷の荒れた街で彼を取り囲む光景の奇怪さには根拠がある。無力ながら抑圧に抗う反応が夢想なのだ。酷い現実に少年が直面するたび、老アレハンドロ(監督本人)が背後から抱きしめる。少年への言葉一つ一つは詩篇のように難解だが、包み込む声には優しさがこもる。

父親ハイメが傾倒する共産主義も、少年が備える夢想と変わらない。男性が理想と権威の象徴であるという夢想を、少年が絶えず揺るがす。少年を叱り組織を仕切るハイメは、矮小な自分を糊塗するため必死だ。渇く民、大統領と馬、スラムの女、いす職人、全てが濃密な映像とともにハイメと観る側を震撼させる。

そして際立つのは母サラの大きさ。彼女の全ての台詞が歌なのは「可笑しい味付け」などではない。一本観きればその必然が判る。ホドロフスキーの人生がどうだったか知らないが、自身の幼少期から今までの人生を解体し、父母と自分に仮託して描きなおしたに違いない。その一遍の抒情詩は、時空を超える母の歌声で「慈愛」に染まる。ホドロフスキーは自身の父母を再生しながら、観る側の家族愛を喚起しているのかもしれない。

フリークスも局部も露出させ「目を背けず全てを受け入れよ」と訴える本作。全ては現実であり、幻想である。霊性がもたらす知覚に人々は迷い、苦悩する。しかしその苦悩をより大きな愛が包む。両親からの愛、それを知覚する自らの愛。「神は愛である」ならば、「神すなわち我」であり「神は我たる愛」である。なんとパワフルなメッセージだろう。

急峻な岩山が寂れた港に迫るトコピージャの街に、造形的な魅力がある。秘境の光景が啓示さえもたらすのか。くたびれた身体を押して遠くに旅に出たくなる。

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リアリティのダンスのポスター
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Daisuke O-okaのプロフィール画像

Daisuke O-okaFreak

某メディア企業で取材・出稿を伴うVTRディレクターをやってます。映画製作ビジネスの経験有り。そのうち何かやってやろうとユルく模索中。映画以外では、スノーボードや自転車ほかアウトドア全般、マンガに読書、クルマ、ねこ、これからの社会の動きなど、興味は全方位。よろしくです。

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