映画『そこのみにて光輝く』レビュー

対話の映画。

やりすごすためのやりとりが、「コミュニケーション」の意味の一部と使われていると感じるなか、この映画では対話がさまざまな手法で描かれているように思う。

「ラスト・コーション」を観たとき、ラブシーンも対話たりうるのだと感じたことを思い出した。
本作では、性に絡む描写が単なる「人物相関図のため」ではなく、「物語る」機能を強く果たしている。

たとえば、主演の綾野剛と池脇千鶴のセックス・シーン。
最初のセックスは映されない。
その後、彼らの関係の変化が明確になったとき、初めてスクリーンに映される。
その行為は、どちらか一方の「奉仕」や「処理」ではなく、もたれかかりかかられ、支え支えられ、求め合う「2人の対話」として伝わってくる。
その過程での声も、とかく女性の喘ぎが強調される作品が多いなか、この映画ではそうではない。

さらに、同じ場所での「シーン重ね方(撮り方)」が見事。
寝たきりになった父親の性欲を、娘の池脇が処理するシーン。
ふすまの間から父親の足元が映り、徐々に上半身へと移動する。
展開が進みシーン変わって、また同じアングルから同じ動きでカメラは動く。
今度は、池脇が父親の体の上にまたがっていることがわかり、「まさか…」と思わせた次の瞬間、そうではない事実が映し出され…。
この時点で、観ている自分が映画と対話していることに驚かされるのだ。

もうひとつ印象的なシーン。
元同僚の火野正平に綾野が言うセリフ。
「俺はあんたとは違う」
このことを理解している大人が、どれだけいるだろう?

タイトルの「光輝く」ことが、観終わってから心のなかで繁殖していく。
他人から見たら光でも輝きでもないことが、彼らには「希望」だと。
それまで「やりすごしてきた」ことを振り切り、ぎりぎりのところで自分を保つことができた奇跡が輝き始める。

そして思う。
大切な人とさえ「やりすごしていないか」。

8
そこのみにて光輝くのポスター
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茅野 布美恵のプロフィール画像

茅野 布美恵Freak

地方誌の編集者。映画は、ノンジャンルで鑑賞。基本的には、劇場で愉しむ主義です。その作品を観ないとわからないレビューになる傾向あり。情けない男が出てくる映画や、青春ものが好物。マイケルホリック(Michaelholic=マイケルホール心酔者)にして、パトリック(デンプシー)教徒。

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