映画『あなたを抱きしめる日まで』レビュー

無垢と信仰

こうして今年のアカデミー賞候補群を並べると1つの傾向が見えてくる。それは宗教が無垢なる者を搾取する欺瞞と、80年代レーガノミクスを根源とするアメリカの現在に至る病理だ。本作は敬虔なカトリックである主婦フィロミーナが50年前に生き別れた息子を探す驚くべき実話であり、前述した多面的な要素を持っている。

1952年、アイルランド。フィロミーナは未婚のまま妊娠した事により、カトリックの修道院に入れられる。修道院とは名ばかりのもので実情は人権を無視した強制労働の場であり、ピーター・ミュラン監督の「マグダレンの祈り」に詳しい。やがて生まれた赤ん坊はアメリカ人に里子として高額の金銭で売られてしまうのである。

脚本も手がけたマーティン役のスティーブ・クーガンは2009年に出版されたこのノンフィクションを老婆とエリートの珍道中コメディに脚色してみせた。暖かみと親近感を持ってフィロミーナを演じるジュディ・デンチと、今やアメリカコメディ界の懐刀としても欠かせないクーガンのシニカルな笑いは思いもよらぬケミカルを起す。

フィロミーナの無垢と敬虔さを私腹を肥やす餌とした修道院の偽善に対し、原作もクーガンも怒りをこめている。そしてこの偽善とはアメリカも行ってきた事である。同性愛を認めない原理主義的キリスト教に裏打ちされた時の政権は80~90年代に爆発的に拡散したエイズに対してあまりにも無策であった。豊かな人生を約束された渡米の末、驚くべき事にアメリカでレーガン政権の顧問まで務めた我が子アンソニーはエイズによって人知れず亡くなったのである。
それでもなおフィロミーナは怒りもしなければ信仰を捨てたりもしない。彼女が下す“赦す”という行為もまた信仰が成せる行為であり、美徳であるのだ。信仰という行為の根源的な奥深さを照射した映画である。

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あなたを抱きしめる日までのポスター
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長内那由多のプロフィール画像

長内那由多

タマネギ畑が広がる北海道のド田舎で多感な思春期を過ごす。中学2年生で「恋人までのディスタンス」のジュリー・デルピーに恋をする⇒メインの更新は本館ブログへ移行しました。こちらでは劇場公開作についてたまにアップします。

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