映画『ヒューゴの不思議な発明』レビュー

5年遅かったのかも

この種の映画はどうしたって見ている間が一番楽しいわけで、時が経つほどに楽しかった記憶は薄れていきます。反面、記憶が薄れていくに従ってきらびやかな飾りやこけ脅し的要素が削ぎ落とされ、その映画の「核心」がくっきりと浮き彫りになるとも言えるのです。それはごく自然なことです。事実、鑑賞後1ケ月経った私の記憶にこの映画の3D表現はほとんど残っていませんが、それはつまり3Dというものが薄れていくこけおどし的要素だからでしょ?臨場感はその場限りのものだからね、という理屈に落ちつくことになるのです。それは娯楽映画として清々しいし、この映画の「核心」もそれによって浮かびあがってくる筈です。

ところが、今回ばかりはそれではどこか腑に落ちないのです。今回に限っては、それは少し残念なことではないかと思うのです。この映画における3Dは単なるこけおどしであってはいけない筈だからです。

多くが指摘する通り「映画黎明期に人々を驚かせ後世に語り継がれた映像表現を、現代の観客に違う形で追体験させる」それがこの映画における3Dの役割ではないでしょうか。
この映画の観客はその追体験によってはじめて映画黎明期の観客と共鳴し、時を越えて映画の素晴らしさを分かち合うことになる。これがこの映画の一つの到達点であると信じています。つまり、この映画にとって3Dは「核心」であり、語り草として人々の記憶に残り続けるべきものなのです。

そもそも3Dは人々の映画的記憶に根を張り、その映画を支える物となり得るのか?という疑問はありますが、例えば、3Dとは奥行きであり広がりであるという本質を見せつけた07年の『ベオウルフ』や『U23D』の表現は私の3D的原体験となり今でも深く記憶に残っています。もしかするとこれは表現力だけの問題ではなく、ヒューゴが人々の3D的原体験となるには5年ほど遅かった、という事だけなのかもしれませんが。

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ヒューゴの不思議な発明のポスター
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