映画『ガンジスに還る』レビュー

彼岸にて

 ひとは、生まれたそばから死に向かっているのに、その話題を避けたがる。死期を悟った父ダヤから、ヒンドゥー教の聖地バラナシで生涯を終えたいと聞かされた或る一家にも、動揺が走る。仕事一筋の息子は、社会人の責任と血縁者の使命感との狭間で葛藤し、懸命に世話してきたと自負する嫁は、義父の切なる願いをシニカルに受け流すしかない。結婚を控えた孫娘は、大好きな祖父の覚悟を知り、自身の心の声にも改めて耳をすませる。

 上司の嫌味もいなした息子を旅のお供に、ガンジス河のほとりに建つ滞在先の“解脱の家”には、穏やかな最期を望む様々なひとが身を寄せていた。とりわけ、ともに訪れた夫を看取ったあと、ひとりきりで18年間も“その日”を待ち続ける未亡人の、部屋を快適に拵え、歳月の流れに身を任せて一瞬一瞬を慈しむ暮らしぶりが、ダヤ父子にも変化をもたらす。我が子を所有物のように扱い、天賦の才を伸ばしてやれなかったことを悔やむ父。教師として必要以上に厳しかった父に複雑な想いを抱きつつ、これまでにない父の率直さにふれ、新たな感情に突き動かされる息子。長年の確執を解きほどく彼らにも、別れの時は刻一刻と迫る。

 91年生まれとは信じ難い、新鋭監督シュバシシュ・ブティアニの成熟した演出眼にも驚かされるが、思えば本作に、人生の終盤を迎える老境に背伸びして立ち入ろうとする無謀さは、一切ない。生きる過程の中で死を捉え、少し先を歩む年長者たちに敬意を込め、その佇まいを通して生命の神秘のかけらを掬いとるべく努める、極めて謙虚な姿勢に根差す普遍的な人間ドラマなのだ。

 自由を得た魂が行き交う地で、気ままにふるまう野良犬の傍ら、見ず知らずの記者など信用できぬと、ダヤは自分や友のため、誠心誠意の死亡広告をしたためる。愛しい亡き者たちとの再会を夢想しつつ、土産話づくりに今一度真摯に生きようと背筋の伸びる、滋味に富む名篇である。

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ガンジスに還るのポスター
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服部香穂里のプロフィール画像

服部香穂里

映画界の末端で、浮草のように漂うております……。

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