グラスホッパー

2015年11月07日公開
グラスホッパーのポスター
7

どんな映画

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フリークレビュー
6

本当に強い奴。

このレビューにはネタバレが含まれています。

悪意ある事故で恋人を失った鈴木(生田斗真)。手がかりを掴んだとはいえ、そしてヘタレのままとはいえ、接敵に及ぶなど、常人にはなかなかでき「ない」。標的を自殺に追い込む鯨(浅野忠信)の「力」など架空もいいところだが、彼を苛む「彼ら」はきっと「ある」だろう。ナイフ使いの蝉(山田涼介)は「自分に立ち向かう明確な悪」を欲しがる。形は違えど、輪郭を伴った思いを欲しがることは「ある」はずだ。そして群衆に身を隠して密命を果たす槿(吉岡秀隆)はきっと「ある」と思う。世の事故のニュースの幾分かは、そんな面々の働きでは?なんて思うときもある。

つまり「ある」「ない」の「境界線」だ。その線は目を引けば細く、寄れば蟻のようにぎっしりと様々な人間で詰まっている。詰め込まれた群衆は、いるだけで「狂気」を孕む。スクランブル交差点の人々が各々の身体境界をつき合わせながら行き交う画に強いストレスがある。

突っ込んできた大型車はその「境界」を破ってきた。鈴木はその「境界」の先に入り込み、逆に囚われてしまった。

彼が決定打を打てなかったのは、実力不足か。それとも彼に根っから染み付いた「虫も殺せない」人間性なのか。自分があの立場に追い込まれたらどう出るか、考えてしまう。ともあれ彼は結果的に巻き込まれただけだ。バッタの群れの中に巻き込まれたものの、少なくともバッタになることはなかったのだ。

こう見ると「戦う」「生き延びる」は決して同じではない。鯨と蝉は「戦い」鈴木は「生き延びた」。明確な違いがあるが、その差は「線」ほどでしかない。トラウマになるかと思うほどの事態に巻き込まれながら、恋人のスープを思い出して微笑むような男のほうが、本当は強いのかもしれない。

歯ごたえのある映画だったが、やり切れなさは残る。鈴木、これから先も、生き続けていくのは大変だぞ。だからって、鈴木の境界に入ってやるつもりもないのだが。

Daisuke O-oka
Daisuke O-okaのプロフィール画像
VTRディレクター

『グラスホッパー』のカラーレビュー

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アカデミー賞2017

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