ペコロスの母に会いに行く

2013年11月16日公開
ペコロスの母に会いに行くのポスター
9

どんな映画

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フリークレビュー
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その膨らみの裏側

多くの泣き笑い映画で〈笑いパート〉と〈泣きパート〉は住み分けられ、あたかも〈笑いパート〉はのちに用意された〈泣きパート〉のためにあつらえた布石…ならまだしも、泣きへの勢いづけにしか見えないことがあります。中には良い映画と思えるものもありますが、それはセンスやバランスの加減がほど良い、もしくは自分の好みにあっている、といったバランスの賜物でしかなく、パートを分けるやり方は大方変わらないのではないかと思います。

昨年度のこの無冠名画が他の泣き笑い映画とまったく違って見えたのは、物事を「喜劇と悲劇が表裏一体となった塊り」として置いているからだと思っています。そもそも「笑い」とは、苦難や悲劇からの「評価を伴った反動や反発」であり、人間の本能的な知恵です。もちろんそれは前に進むためにあります。悲しみという主観を、笑いという客観で評価総括することで乗り越え、前に進めるのです。
我々は生きていくために笑いを求める。悲劇は受動で、笑いは能動です。つまり「泣き笑い」の重心は「笑い」にあり、「笑い」の中に苦難や悲劇への評価を見ることで、人はその事象を丸ごと受けとめ、昇華していくのではないでしょうか。まさに、この映画の主人公の職業である漫画家はそんな作業を生業とするものです。

ボケた母を見舞ったおばちゃん達が、帰りの車の後部座席で、戯言を繰り返す母をからかう会話を何度もリピートする笑いのシーンで、主人公だけは眉をしかめています。「...この人たちも、か」客席が、はっと笑いを呑み込む瞬間です。
このように、この映画の随所でポコっと丸く膨らむ「笑い」、その膨らみの裏側を覗いてみてください。そこには必ずそれに伴う「苦難や悲劇」がぺったり貼り付いているはずです。

田中 啓一
田中 啓一のプロフィール画像
娘と添い寝

『ペコロスの母に会いに行く』のカラーレビュー

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