レ・ミゼラブル

2012年12月28日公開
レ・ミゼラブルのポスター
7.8

どんな映画

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フリークレビュー
8

ミュージカルの醍醐味とは歌の力なのだ、と思い知る

ミュージカルの醍醐味とは歌の力なのだ、と思い知る力作

1985年にロンドンのウエストエンド、その後ニューヨークのブロードウェイでロングランヒットした名作ミュージカルの映画化として、堂々とした風格を備えている。

原作は150年前に書かれたヴィクトル・ユーゴーの「ああ無情」。19世紀の革命後のフランスを舞台にした“コケが生えた”ような物語だ。観客の多くは結末に至るまでストーリーを熟知していて、予定されたことしか起こらない。貧困や格差にあえぐ民衆たちが自由を求めて蜂起する。しかし民衆は踊らない。3・11後の初めての選挙にも関わらず、国民の4割が選挙権を放棄したいまの日本社会の姿を重ね合わせることができる。この映画の革命は、民衆たちの「無関心」により失敗に終わるのだ。フランスの三色旗が虚しくはためく。

主演のヒュー・ジャックマン(ジャン・バルジャン役)をはじめとした俳優たちの、感情がほとばしるままに溢れ出す歌声が、観ているぼくらの心を揺らす。ミュージカルとは、俳優たちが“楽器”のように全身を共鳴させて奏でる歌声(肉声)を楽しむ芸術なのだ、と改めて思い知る。

アン・ハサウェイ(ファンテーヌ役)が歌う「夢やぶれて」、サマンサ・バークス(エボニーヌ役)が歌う「オン・マイ・オウン」、そしてエディ・レッドメイン(マリウス役)らが歌う「民衆の歌」。この映画には一度聴いたら忘れられない珠玉のミュージカルナンバーが少なくとも(31曲中)3曲はある。映画がハネた後に感動と興奮そのままに、鼻歌で歌いたくなる名曲だ。とくにメインキャストたち全員による歌声が絶妙なアンサンブルを奏で始め、終いにはオーケストラのように重なり合う、クライマックスの「民衆の歌」に涙が止まらなかった。圧倒的な感動のきわみへと誘う歌の力に、全身が熱くなった。

サトウ ムツオ
サトウ ムツオのプロフィール画像
映画伝道師
8

メリー・クリスマス。

このレビューにはネタバレが含まれています。

「レ・ミゼラブル」「ああ無情」もう説明するのも野暮。
しかしクリスマスというこの時期に封切られたのには大きな意味がある。

キーワードは「赦し」ではないか。
銀器を盗んだバルジャンは、それを許した神父のおかげで再生する。
フォンテーヌが身を堕としたのも、ジャベールが訪れた自分の工場で要らぬ悶着を起こしたくなかったバルジャンの保身だ。
しかしフォンテーヌはバルジャンを責めることなく、ただコゼットを想い天に召される。

コゼットの想い人マリウスの瀕死の体を担ぎ、下水道の汚泥まみれで「1時間で戻る」とジャベールに言い切ったバルジャンの瞳。全ての罪を改めて受け止めようとする気概が、ジャベールの膝を折るのだ。

赦しを得ることで、人は新たな命を得る。
一点の曇りなき人生を送れる人など一人もいない。
バルジャンの人生を数々の人々の「罪」と「赦し」が巡り巡る。逡巡する自分自身を正直に受け止めながら生き抜くバルジャンの姿に、震えるような力を与えられる。

フォンテーヌを看取った病院で戦うバルジャン=ヒュー・ジャックマンとジャベール=ラッセル・クロウ。
朗々と歌いながら殺陣を返しあう、何という身体能力。
髪を奪われたフォンテーヌ=アン・ハサウェイの絶唱、ワンカットで見せきる現場の集中力。圧倒される。
スタッフとキャストの極限の努力で届けられる、壮大な「赦し」の物語。

民の罪を一身に背負って磔刑を受け天に召されたキリストの誕生日。
その季節にこれほどの映画に出会えるとは、
何という僥倖。何という贅沢。
ラストカットは、成らなかった革命への郷愁ではない。
心の壁を突き崩そうと挑む全ての人々に「贈られる」凱歌なのだ。

メリー・クリスマス。

Daisuke O-oka
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VTRディレクター
9

劇場と映画館の差

どちらが良いかどうかは置いておいて、
映画館でこれを成立させるには、
絶対に必要な要素があって、
それは映画俳優でなければいけないということ。
ヒュー・ジャックマンがいたから成立したんじゃないかと思う。
全編の芯を支えたあの力量に脱帽。
ワンカットで観客の心を突き刺すアン・ハサウェイの歌も素晴らしい。

スクリーンで観客を掴み続けれるのは映画スターのみが有する才能。

ここ近作のミュージカル映画の中では群を抜いて歌ばかりです。
ヨーロッパで約150年前に書かれた物語が
今の日本に驚くほどマッチしているお話です。
人間とはいかに進歩の無い生物か。

キリスト教絶賛のこの映画はクリスマスにピッタリです。

完山 京洪
完山 京洪のプロフィール画像
映画人
8

むきだしの声、むきだしの魂

ミュージカル弱者、とくにフルミュージカルの抑揚のなさにどうしてもダルさを感じてしまう体質。でも『レ・ミゼラブル』ではその歌曲を大いに楽しんだ。

理由はたぶん2つ。
ひとつは、歌が生まれるうってつけの場が舞台であったこと。
“歌”の起源はきっと労働歌であると信じるなら、巨大船を港に引き込む囚人たちの過酷な労働歌から始まるこの映画に、ミュージカル特有のあの違和感を覚えることはない。
同時に、歌とは身の丈のブルースであるべきだ。革命期にあるこの映画の登場人物はみな、絶望に行き詰まった現状と根拠のない希望に満ちた未来との狭間に揺れるブルースの中に生きている。ファンテーヌ(アン・ハサウェイ)を工場から追い出す女たちの意地悪にしても、その向こうには、食いぶちを少しでも増やさなければ立ち行かない彼女たちのシビアな生活(ブルース)が見える。
肉体の軋み(労働歌)、生きるための叫び(ブルース)。これを歌なしで語ることなどあり得ないと思えてくる。

もうひとつ、この映画が収録済みの歌曲に後付けの演技を合わせた通常の口パクミュージカルではなく、その場で歌と演技を生収録する方法をとったことも大きい。そこに役者たちの技量と魂が乗った。肉体に感情をみなぎらせ、つま先から髪の先まで、まさに生舞台さながらの全霊を込めて歌いあげるその表情に、小手先の演技プランなど消し飛ぶ。本物の汗、本物の涙。吐息を拾い、嗚咽は音符に変わる。ここに本物の歌がある。
その究極をアン・ハサウェイがさらった。役柄を超え、自身の命を削るように歌う「夢やぶれて」。それはこの映画やミュージカルという枠を大きく超えた、ひとつの映画的“塊”として記憶される。満島ひかりの「コリント人への第一の手紙 第十三章」(愛のむきだし)を想起した。

田中 啓一
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娘と添い寝
8

映画として成立した稀なるミュージカル。

今まで映画化されたミュージカルは多い。
その映像が美しく迫力があればあるほど、「実際に舞台で観たい」と思ってしまう。
きっと本作も…と高を括っていた。

ほぼ100%で構成された楽曲は、俳優たちによって撮影現場で歌い上げられている。
最新の技術で「作りこまれた」それではなく、その場、その瞬間、その高まりから生まれたものを活写したもの。
絞り出される彼らの歌声には、間違いなく熱き魂が乗せられていた。

教科書にも載るほどの名作を「なぜ、今?」の疑問にも、真っ向から答えている。
授業で読んだ時は、どうにも重く暗いイメージが強く残っていた作品。
だがこの映画では、「失敗に終わった革命」を描きながらも、勝ち取る力の萌芽を観る者の胸に感じさせるのだ。

そこには、「ミュージカルを超える」といったテクニカルな目標を超えた志が確かにあった。
だから、この映画は映画として成立しているのだ。

鑑賞前の思い込みを見事にひっくり返された爽快感と、
圧巻のラストシーンに、強く背中を押された気がした。

茅野 布美恵
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会社員
8

生命力たっぷり

 第九を年末になると聴きたくなるような感じで、感動的な音楽や歌を大音響で映画館で見るのはとてもよかった。

 ジャンバルジャンが正体を偽って市長にまで出世するとは、元々そのように能力が高い人だったのかと、庶民とは違うのかとそんな残念さはあった。

 他人の娘をわが子として育てるその情愛の深さは表現されていたのだが、それに比べて恋愛は、一目惚れと非常にインスタントなものとして描かれていた。途中で死んでしまう、片思いの女の方がよほど思いを切なく描いていたのに、それに対する彼の無神経ぶりも、丹念に描いていて、何かの意図を感じる。しかし、そのようなインスタントな始まりだからこそ、恋愛対象が欠けがえのないものとなる事の尊さを逆説的に伝えているのかもしれない。

 登場人物が力いっぱい戦い、生きて、歌っている様子が大変感動的で圧倒された。サシャ・バロン・コーエンのようなゴキブリみたいな人も、大変な生命力で力いっぱい頑張っていた。

古泉 智浩
古泉 智浩のプロフィール画像
マンガ家

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