のぼうの城

2012年11月02日公開
のぼうの城のポスター
7.7

どんな映画

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フリークレビュー
8

<戦>は祭りだ。映画が<社会>にできること。

このレビューにはネタバレが含まれています。

"のぼう"長親(野村萬斎)の「嫌なものは嫌なのじゃっ!」
何と優れた台詞だろうか。結局人間が動くのは<衝動>なのだ。
盛り上がる面々の中で最後まで慎重だった丹波(佐藤浩市)の
「・・・やっちゃおうか」もたまらない。

つまり、戦は祭りだ。
現代に比べて戦国の世は(そして産業革命が始まるまでの世界は)
人の命など軽いものだった。
だからこそ「命をかける」機会が頻繁で、
いちいち重く受け止めていてはやっていられない。
リスクへの感覚が本能的で機敏なのだ。
その感覚が、戦を決断する<のぼう>と彼を「神輿」に担ぐ臣民の関係において実体化する。
服従するより戦う方が、生き延びたときの「お宝」は大きいのだ。
だから気持ちが「上がる」。それこそが「祭り」。
閉塞した現代日本の病根を解く鍵はここにある。
踏み出して危機を迎え撃て。タフになれ。戦いを楽しめ。

それを象徴するのが長親の田楽。

二人監督が非常によく噛み合ったように思える。
序盤から見せ場を重ね、人物を作り、作った人物が動いて見せる。
その丹念な繰り返し。覚悟を備えた人々の顔が佳い。
一人の顔も見逃させない、丁寧な撮り。
積み上げたものがクライマックスに向けて、
一つ一つ役割を果たしていく。
一つ一つの動きが大きな波を作る。

広がる山野も押し寄せる軍勢も盤石の出来。
気になる細かい安っぽさなど全く無く、
腰を据えて人間の脈動を楽しめるのだ。
豊臣の世という「時代」に突入する「戦=祭り」。
その境界を越え、各々がそれぞれの道を歩み始める。
今の時代に通じる普遍がある。

光成(上地雄輔)が調停を〆る言葉は大事。
戦の後に各々が空を見上げる眼。
少々踏み出しても死にはしない。生き延びる。死んだ者の心は受け継ぐ。
そう腹を括った者たちの清々しさが胸を吹き抜ける。
笑顔と力が湧いてくる。必見。

Daisuke O-oka
Daisuke O-okaのプロフィール画像
VTRディレクター
8

スジ(脚本)、ヌケ(撮影)、ドウサ(演技)のすべてがそろった痛快娯楽時代劇

まさに「1スジ、2ヌケ、3ドウサ」。脚本の企画・開発に十分な手間暇をかければ、映画が面白くなるなることを実証した作品だ。原作は和田竜が脚本として書いた『忍ぶの城』で'03年城戸賞受賞。その後『のぼうの城』として小説化され、'08年上半期直木賞ノミネート、'09年本屋大賞第2位となった痛快時代小説だ。

多勢に無勢、判官ひいきな日本人にはお誂え向きな内容で、よくこんな史実を見つけたものだ。のぼう様こと成田長親が守る武州・忍城は500騎(農民を含めて2000人)の軍、対する石田三成率いる秀吉軍は20000人の大軍。余裕しゃくしゃくの秀吉軍に対しあの手この手の奇策を用いるのぼう軍の、敵の鼻を明かすような戦いぶりに笑いが止まらない。

「ドウサ」でいえば、飄々として誰からも愛される“智将”のぼう役の野村萬斎、成田家家老の“豪傑”正木丹波守役の佐藤浩市の2人が盤石の布陣。思えば、能楽師・萬斎の映画デビュー作は黒澤明監督の戦国時代劇『乱』であり、原作小説では大男だったのぼうを、萬斎は狂言回し的な愛すべきキャラに変奏させ、観る者を魅了する。(脚本でわずか1行だけだった)田楽踊りは必見だ。

共同監督の犬童一心と樋口真嗣による「ヌケ」もなかなかの出来映えだ。とくに樋口監督にとってはリメイク版『隠し砦の三悪人』('08年)の汚名返上か。惜しむらくは『七人の侍』の勘兵衛(志村喬)が広げる村の見取り図のごとく、忍城の守りの地図があれば満点なのだが、それは贅沢すぎるというものだろう。

サトウ ムツオ
サトウ ムツオのプロフィール画像
映画伝道師
8

下剋上の物語

このレビューにはネタバレが含まれています。

そうか、のぼうとは木偶の坊(でくのぼう)のことなのか。ノった!

野村萬斎演じる成田長親はでくのぼう(操り人形)というよりはボンクラだ。
ボンクラとは、常に「何か他のこと」にうつつを抜かしている者のことだ。
そしてその“何か”を観客はすでに知っている。野村萬斎という狙いすましたキャスティングによって。ここが巧い。観客は野村萬斎のその“何か”が、いつ、どのように披露されるかを、わくわくしながら待つ。

これは「下剋上」の物語だ。
様々な「下剋上」が用意される。でくのぼうは総大将に成り上がり/“支城”(忍城)は敵の“本城”(大阪城)に逆らい/500の軍勢は20000の軍勢に抗い/一介の武士は姫に恋をする。
中でも最も感動的な「下剋上」が、農民たちが土足で城に上がる場面だ。まずは城の総大将長親と姫がいったん泥に降りて足を汚し、農民たちの躊躇を取り去るところがさらにいい。
そしてそのきっかけとなるのが“水攻め”だ。そう、実はこの映画最大のスペクタクルである“水攻め”は、なんと農民たちを土足で城に上がらせるために用意された「下剋上の装置」なのだ。痛快な!
(同時にこれは平等化という観点において『桐島、部活やめるってよ』の“屋上ゾンビ”と同じ意味を持つということを、今年の総括として忘れてはならない。)

ここまで1時間半、この場面を見て、私はあとに続く1時間を残して劇場を出てしまったとしても満足だった。

役者もみな素晴らしかった。各武将/武士/農民の適材が適所に特化していたように、すべての役者がその役割をまっとうしていた。そして、それは本作の制作陣にもそのまま当てはまる。

一点、惜しい所があった。
農民が武士に加わることでたった500だった軍勢が3000に膨れ上がった時、遥か遠くにその雄叫びを聴いた敵陣の光成がひとこと「あれがたった500の雄叫びか?」と驚いてくれてたら、文句無し。

田中 啓一
田中 啓一のプロフィール画像
娘と添い寝
8

導く人の「本能」が動かすもの。

どっちかっていうと、時代劇は得意じゃない。
自分の生活と結びつけながら映画を観る傾向にあるので、なかなかその作業に壁を感じてしまうのだ。
戦では必ず名もなき人が斬られて死んで、その都度、彼らのことを考えながら観てしまうので、気が散ってしょうがない。
「向いてないんだ」と思う。
が、この作品は、どうにも抵抗できなかった。
前述の嗜好的な違和感を感じながらも、スクリーンでは闘いがぐいぐいと進む。
「ちょっと、待って」と思いながらも、忍城を守る戦国武士や農民たちの士気とともに、私の心拍数は上がることをやめない。
なぜなら、図らずも自分の記憶と結びつけていたから。

無謀な闘いにもかかわらず、「やっちまうか!」と「のぼうとその仲間たち」が動き出すシーンでは、
「この企画、ラーメン特集ほど売れないかもしれないけど、やっちゃおうか!」と踏み切った編集会議を思い出し。
多勢に無勢の闘いで勝利を重ねるシーンでは、小学校の頃の球技大会で強いチームに思いがけず勝ってしまった奇跡を思い出し。
「いけるかも!」と根拠なき確信を体感した記憶が、甦ってきたのだ。

野村萬斎演じるのぼうは、天から授かった「導く人の本能」で行動する。
自覚する自覚しないにかかわらず、彼の「反射とも思える判断」は、人々の心を熱くさせる。

「導く人の本能」が動かすもの、それもまた本能なのだ。
のぼうが舞う、やけに長い大放尿の踊り(田楽踊り)が、コミカルに感動的にそれを物語る。

人が死ぬ戦を、ドッジボールや編集会議と重ねていいのだ!
そこには同じ「本能」が働き、抗えない高揚感に突き動かされているのだから。

そして、この映画は「四の五の言わずに、いいからやれよ!」と、世の自称リーダーに言っている。
今観るべき映画であることは、確かみたいだ。

茅野 布美恵
茅野 布美恵のプロフィール画像
会社員

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