私が、生きる肌

2012年05月26日公開
私が、生きる肌のポスター
8.2

どんな映画

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フリークレビュー
5

何から何までアブノーマル

どうもアルモドヴァルの感性にはついていけない。苦手だ。

アブノーマルな世界をアート感覚でドラマティックに彩ってしまう、というのが個人的なアルモドヴァル作品への先入観。彼が語る題材のベクトルも個人的嗜好とは合わないし、画作りにしてもあまり魅力を感じない。これは相性の問題なのでどうにもし難いのだが、今回、彼のストーリーテリング手法についても嗜好の違いがはっきりと表れた。

「人工肌の権威である主人公が妻そっくりの人間を作り上げて屋敷に囲う」というけれん味たっぷりの大筋のなかには、実は「主人公が雇うお手伝いさんは実は○○で、彼女を頼って屋敷を訪れる息子が実は主人公の妻を××したせいで、妻が△△なことになってしまい、娘も□□になってしまう」という複雑なサブプロットが隠されているのだが、アルモドヴァルはこれをオマケと言わんばかりに長台詞だけで説明しきってしまう。オイオイ。

この唐突な独白に面食らっていると、お次は娘が□□になってしまった経緯が時系列を遡って今度はじっくりコトコトと描かれる。ナニコレ?

このいびつなバランスはわざとやっているようにも見えるが、効果的な語り口の推敲を放棄しているようにも見える。また、画的なインパクトを作り出すために、ヨガを習うという設定を劇中に持ち込む安易さも、巨匠ならではの傲慢が顔を覗かせる。

ただ、アブノーマルな世界がアブノーマルな映画構造で語られるアルモドヴァル映画は、一切の常識が通用しないことこそが魅力なのかもしれない。ハリウッド映画に侵された脳には大きな刺激であることは確かだ。

芳賀 健
芳賀 健のプロフィール画像
映画ライター・編集
9

すごい見ごたえだった

 一体この人は何をしているんだろう、その状況が淡々と描かれているとやがてとんでもない事が発覚してとても驚いた。滅茶苦茶なんだけど話にとても筋が通っていて、面白かった。とても見ごたえがあって、ぐいぐい引き込まれて、いつも上映中には何分経過したかこっそり時計を確認するんだけど、圧倒されてしまい最後まで時間を忘れて見ていた。

 とんでもない話の割りに登場人物が丁寧に描かれていて、とても実在感があった。

 後で監督がゲイだったと聞かされて、大変腑に落ちた。

古泉 智浩
古泉 智浩のプロフィール画像
マンガ家
8

狂気と衝撃は健在、ラストはちょっと道徳的?

このレビューにはネタバレが含まれています。

久々のアルモドバルの新作。
楽しみにしないわけにはいきません。

いやー、ちょうど10年前に「トーク・トゥ・ハー」で受けた、腰が抜けそうな衝撃に、負けず劣らずの展開。

この話、中盤まで、誰を視点に観ていくべきかを迷わせます。
それが絶妙な布石であることに気付かせるまで、ちょっとずつちょっとずつヒントを忍ばせ、観る者は、役者の細かな表情やセリフの言い方や動きを見直したくなる。

アルモドバルが直球で来ることは、誰も予想も期待もしていない。
とはいえ、観客の「まさかね、まさかね」をてらいもなくやってのけ、さらに観客に「イエス」と言わせてしまう筆力。
もう、「待ってました」と言うしかない。

物語の鍵を握る青年ビセンテを演じたジャン・コルネットの演技に、してやられました。
特に彼の「目で語る」芝居が、突飛なストーリーへの違和感を払拭してくれる。
いや、これは、主演のエレナ・アナヤの功績も大きいか?
この先を語ると、完全なるネタバレとなるので自粛。

アルモドバル節は十分楽しめますが、唯一、過去作との違いを感じたのはラスト。
10年前の彼なら、もしかしたら違う着地を決めていたのではなかろうか。

茅野 布美恵
茅野 布美恵のプロフィール画像
会社員
8

『顔のない眼』『めまい』の美しい変奏が見られる、悲痛な愛のかたち

このレビューにはネタバレが含まれています。

大筋は、ピエール・ポワロー&トマース・ナルスジャックが脚本家として加わった、ジョルジュ・フランジョ監督の『顔のない眼』('60)だろう。美しい娘クリスティーヌ(エディット・スコブ)の顔を元通りにするために、他の若い女性の顔の皮膚を切り取って移植しようとする。むろん法的にも倫理的にも不可能な話で、父のジェネシュ博士(ピエール・ブラッスール)は助手を使って女性を誘拐し、麻酔で眠らせてメスで顔面の皮膚を切り取り、彼女の顔に移し替える。その所業は、マッドサイエンティストそのものだ。
そして本作には、やはり同じポワロー&ナルスジャックの小説『死者の中から』を原作とした、アルフレッド・ヒッチコック監督の『めまい』('58)のエッセンスが加味される。主人公スコット(ジェームズ・ステュアート)は、死んだはずのマデリンにそっくりな女性ジュディ(キム・ノヴァクひとり二役)に洋服や髪型、何から何までをマデリンへと変貌させる。
ペドロ・アルモダバル監督の『私が、生きる肌』の主人公の天才形成外科医ロベル博士は、自ら開発した人工皮膚で「着せ替える」ようにして全身と顔を変えてしまい、亡き妻そっくりの美女ベラを創り上げてしまう。そうして死者を「蘇らせて」しまう。なんて悲痛な愛なんだろう、と思う。
軟禁状態にあり、肌色のボディストッキングをまとったエレナ・アナヤの全裸と見まがうしなやかな肢体が、本作の華だ。その美女ベラ・クルスは、愛する娘のレイプ事件の犯人と思われる男性を「性転換」させるというアクロバティックな「復讐戦」であるがゆえに、衝撃性は高い。
アルモドバル監督はいつものように愛と破滅を描いている。人体の表層であるスキン(肌)を着せ替えても、人体の深層(心)はけっして変えられない。この悪魔的な快楽のゲームは、観る人の倫理観や愛のかたちをグジャグジャにして、悲劇的な終わりを告げるのだ。

サトウ ムツオ
サトウ ムツオのプロフィール画像
映画伝道師
9

天才(変態)には凡人どもの共感などいらない!

『オール・アバウト・マイ・マザー』以降だろうか。
すっかり「女性映画の名匠」というイメージが定着したアルモドバルだが、
それ以降も『バッド・エデュケーション』とか
ずいぶんヘンテコな映画も撮っている。
たぶんアルモドバル本人にとって、
誰もが共感できる「いい話」と、
「なにがなんだかさっぱりわからない珍作」との境界線は
非常に曖昧なのではなかろうか。

で、『私は、生きる肌』は
アルモドバルの「なんだこりゃ?」路線の中でも
飛び抜けて「なんだこりゃ?」が詰まった大怪作である。

自分が全身整形した美女を監禁している整形外科医、という設定からして
かなり変態チックだし、不快感をもよおすひとがいても不思議はない。

しかし、映画の序盤からプンプンただよう「居心地の悪さ」は、
所詮、観客が自分のちっちゃな倫理観に照らしたものなのだと、
観ているうちにだんだんわかってくる。
この映画の世界観も、目の前で繰り広げられている奇妙な愛憎劇も、
もはや「わかった」などと気楽に言える範疇のものではないのだ。

「なんだこりゃ?」が雪だるま式に膨れ上がる怒涛の展開に、
いつしか「居心地の悪さ」は「笑い」に変わり、
ラストの突き抜けた「やりきった感」には、思わず拍手を贈りたくなる。
理屈が通らなくたって、登場人物の誰にも共感できなくたって、
面白いと感じることはできるのだ。
アルモドバルという大変人にしかわからない美意識のカタマリを前にして、
ただ圧倒され、呆れ、ムカつき、腹を抱えて笑えばいいのだと思う。
ああ、すごかった。

そういえば、ある漫画家さんが「あれは赤塚不二夫のマンガですよ、最後にバカボンパパが「これでいいのだ」と言えばすべてオチがつく」と仰っていて、すごく合点がいきました。

村山 章
村山 章のプロフィール画像
映画ライター

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